『原子力の哲学』戸谷洋志 感想
七人の哲学者が、それぞれ原子力に対してどのように論じてきたか紹介する本。
哲学にほとんど触れず生きてきた私にとっては、かなり難しく、ほとんど理解できませんでした……。
読んで、得たと実感できたことといえば、「自分は原子力のある時代に生きている」という自覚をおそらく初めて持ったことでしょうか。
あと、フィクションを読むことの重要性を多くの哲学者が挙げていたのが良き、とか。
そんな解ってない人であることが大前提ですが、以下少しだけ内容について。
ハンナ・アーレントとジャック・デリダの章は完全におてあげ状態でした。すいません。
ジャン=ピエール・デュピュイもややこしかったな……古典文学をオススメしていたな……。
カール・ヤスパースの、みんな自分自身のこととしてよく考えることがまず大事です、という結論は「はい。」と受け止めやすい。
民主主義と全体主義の話は私にはちょっと難しかったですが。
ハンナ・ヨナスの言っていることは、なんとなく解るし、原子力以外についても考えやすそう。
技術が発達しすぎて影響の及ぶ範囲が時間的にも遥か遠くに及ぶようになってしまった、今良かれとしたことが将来的には実は悪だったりする。その観点からだと、ふつうに悪いと思える核兵器よりも悪さが分かりにくい原子力発電のほうが問題が大きい。未来に対する責任を負う為に最悪の未来を予測することが最も倫理的、という。ディストピア系SFをオススメしていました。
一番なるほどと思えたのがギュンター・アンダースの章でした。
核はヤバさがヤバいからヤバいんだよ、という話だと思います。
計画/想像/責任、各能力のギャップに関する「プロメテウス的落差」、それを克服するために、SFとか読みましょうとオススメしていました。
ところで、第一章はマルティン・ハイデガーでした。
原子力の時代とは、「用象」――たとえば自然を目にしてエネルギー入りの容器と見てしまう、人間さえその対象である、そんな時代だという警鐘がありました。
対抗するための「放下」について、著者の方がわかりやすくまとめて下さっています。曰く、
肯定すると同時に否定し、二者択一に巻き込まれず、けっして最終決定を下さないこと。同時に複数の思考へと開かれていること。
これを念頭に置くか置かないかで、解らなさ含め読んで考えることの姿勢は変わってくるだろうと思いました。
にしても私は解らなすぎですけど。
精進。精進。
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