coco*ha*tekichi

ブログを書きたいがためのブログです。

今週は仕事の都合でいつもより1時間早起きせねばなのですが、
いや〜眠い眠い。
朝はわりと普通に起きれているものの、夕方〜夜にかけての眠気がものすごいです。
1時間でずいぶん違うものなんだなぁ、といっそ感心してしまう。

てことはふだんも、ダラダラせずに1時間ほど長く睡眠時間を取れたら、もっと快適に1日過ごせるのかもしれないな。

私の場合、6時間切る日が続くと仕事中居眠りしそうになります……でもなかなか、コンスタントには確保できなくて。
もちろん長さだけの問題ではないけれど。

明日で早起きはひと段落。
とにかく今は、さっさと寝て、明日起きて働いて帰ったらごはん食べて食器洗ってお風呂入って寝るぞ、て野望で頭が占領されています。
おやすみなさい。

FIGHT

以前一緒に働いていたアルバイトの子が、店に足を運んでくれました。

彼女が退社した時期は春の休業期間中で、なんだかんだ最後にきちんとお話出来なかったので、今日会えて嬉しかったです。

 

詳しく書けませんが、つい「えー大変そう!」と言ってしまうような、そんな道を選んだという。

私には想像も難しい進路なので、やはり、気の利いた言葉など伝えることは出来ませんでした。

「1ヶ月で挫折するよ〜ってみんなに言われてます」

て笑いながら言う彼女に

「きっと大丈夫だよ、がんばってね」

と応えながら、これは正しいのかな? と考えてしまいました。家族や、長い時間を共にした親友のような関係ではない、ある意味他人事として、私は応えていないかな。

 

でもやっぱり後になってたくさん考えてみても、他は無かったなとも思います。正しさは分からないけども、私の、本心でした。

 

がんばれー。

『罪の終わり』東山彰良 感想

超大好きな東山彰良さんの中でもとりわけ超大好きな作品。再読しました。
この方が書くほんのひとことふたことの涙腺破壊力が私の中で最強なので、うかつに外では読めません。

先に書かれた長編『ブラックライダー』の対になる作品。
時代は遡り、『ブラックライダー』で伝説として語られていたナサニエル・ヘイレンに関するノンフィクションという体裁の小説です。
とても読みやすく、同時に重厚さも群を抜いています。

 

以下ものすごくネタバレ。

 

 

望まれない形で生を受けたナサニエルは、不在がちで堕落した美しい母親と障がいを持つ兄を持ち、不遇の少年時代を送ります。しかしなのか、だからこそなのか、彼の命が放つ光は清冽で鮮烈で目が痛いほどです。(この光は『僕が殺した人と僕を殺した人』でも顕著でした)
運命は悪いほうに回り、ナサニエルは兄と母を手に掛けて囚人になります。
その頃地球にはナイチンゲール小惑星が接近していました。衝突を防ぐため核で迎え撃ったものの、地球の大半が壊滅状態となった<六・一六>。ナサニエルはこれを機にシンシン刑務所を脱け出し、彼を崇拝する食人鬼のレヴンワースと共に、長い旅に出ます。
荒れ果てた世界では、極度の食糧難のあげく人肉食が行われはじめ、人々の精神が蝕まれていくさなかでした。
書き手であるネイサンは脱獄した重犯罪人を追っており、レヴンワースがターゲットでした。追跡する中でナサニエルを知り、彼が人々によってどのように語られているか、またそれがどのように変化していくかに興味を抱きます。

 

まずはなにしろめちゃくちゃ面白いのです。
ナサニエルの生涯という軸のストーリーはもちろん、文明崩壊後の世界観、一癖も二癖もある登場人物たちの(犬含む)生き生きとした姿。三本脚のカールハインツの声なんか本当に耳に届いてきそうです。それらを描き出すクールな文章こそ、小説の醍醐味。一気読み必至です。

そして同時に、重く重くて重い。愛すること、生きること、死ぬこと、殺すこと、信じること赦すこと救うこと、罪そして贖罪、あらゆるものが読んでいる私に容赦なくのしかかってきます。読んでしまったら昨日までと同じようには生きれない、そんな稀有な作品です。
とりわけ、14章の「湖上を歩く(あるいは自己正当化の「メカニズム」に関する考察)」には、ネイサンが考えたことが――つまり作者が書こうとしたことと捉えていいように私は考えていますが――凝縮されています。たとえ何度読み返したところで、読み足りることはないだろうと思います。

今回再読して、ニモが一度ならず目にした光が気にかかかったこともありますし、引っかかりが薄れないうちにまた読みます。

 

 

罪の終わり (新潮文庫)

罪の終わり (新潮文庫)

 

 

グローブクリームパン

仕事帰りにスーパーに寄ったところ、抹茶クリームパンがお買い得になっているのに目をつけました。
はじめは、抹茶味のクリームパンって意外と食べたことないかも……という、純粋に味に対する興味だったのですが、しげしげ見ているうちに、型に対する想いが込み上げてきました。
グローブみたいなやつだったんです。
典型的なあれです。
もっと言えばあのアニメのクリームパン(ダ)の型です。

最近はなんだかおしゃれなパン屋さんも生活範囲にたくさんある時代、コンビニなどで手軽に買おうと思えばそちらでも、目新しい凝った商品が並んでいて。
こんなにクリームパンらしいクリームパンは久しぶりだな……。
子供の頃、近所のパン屋さんで買ってもらっていたクリームパンはまさにこれで、つやっとしてて、食べるたびに嬉しかったものだ……。
ノスタルジックにいただきましたが、もちろん味も、ちょっと苦味を醸し出すパン部分ととろーり甘いクリーム部分のハーモニーと、美味しかったです。

 

ところでなんでクリームパンてあの型なんだろう。

 

今日はたくさんクリームパンって書きましたよ。

乾燥を遡る

スーパー乾燥肌と闘う人生ですが、今年は敗北気味です。

起死回生をかけて色々調べ、対策を練っている本日。

 

調べている中で、乾燥は遺伝の要素も少なからずあるという意見を目にし、だよねだよねーとなりました。

母方の祖父が、物凄かったという伝説があるので。

でもおかんは、たいしたケアをしなくても平気よ〜みたいな感じらしい。

隔世遺伝したんだな。

研修の喉

新人研修の担当でありまして、ちょうど立て続けに新しい方が入社してきてちょっと忙しない今日この頃。
通常業務の時間が減ることなどは致し方ないしなんとかやりくりしようと思えるのですが、何が辛いといって、諸々説明するのに喋ることです。
一時間とか二時間、間断なく喋り続ける。
普段どちらかといえば口数が少ない方なので、研修以外では起こらない事態です。
そして喉がカッスカッスになる。
「なのでこの場……かほっ……場合は先程のペー……かほかほっ、ごめんなさい、さきほ……かっっ」
とかやっている。
先方にも申し訳なくて大変気まずいのです。
世の中のお喋りなタイプの人達は、どうして喉カスカスしないのだろう。
鍛えるべきかな。

『原子力の哲学』戸谷洋志 感想

七人の哲学者が、それぞれ原子力に対してどのように論じてきたか紹介する本。

 

哲学にほとんど触れず生きてきた私にとっては、かなり難しく、ほとんど理解できませんでした……。
読んで、得たと実感できたことといえば、「自分は原子力のある時代に生きている」という自覚をおそらく初めて持ったことでしょうか。
あと、フィクションを読むことの重要性を多くの哲学者が挙げていたのが良き、とか。

 

そんな解ってない人であることが大前提ですが、以下少しだけ内容について。

 

ハンナ・アーレントジャック・デリダの章は完全におてあげ状態でした。すいません。
ジャン=ピエール・デュピュイもややこしかったな……古典文学をオススメしていたな……。

 

カール・ヤスパースの、みんな自分自身のこととしてよく考えることがまず大事です、という結論は「はい。」と受け止めやすい。
民主主義と全体主義の話は私にはちょっと難しかったですが。

 

ハンナ・ヨナスの言っていることは、なんとなく解るし、原子力以外についても考えやすそう。
技術が発達しすぎて影響の及ぶ範囲が時間的にも遥か遠くに及ぶようになってしまった、今良かれとしたことが将来的には実は悪だったりする。その観点からだと、ふつうに悪いと思える核兵器よりも悪さが分かりにくい原子力発電のほうが問題が大きい。未来に対する責任を負う為に最悪の未来を予測することが最も倫理的、という。ディストピア系SFをオススメしていました。

 

一番なるほどと思えたのがギュンター・アンダースの章でした。
核はヤバさがヤバいからヤバいんだよ、という話だと思います。
計画/想像/責任、各能力のギャップに関する「プロメテウス的落差」、それを克服するために、SFとか読みましょうとオススメしていました。

 

ところで、第一章はマルティン・ハイデガーでした。
原子力の時代とは、「用象」――たとえば自然を目にしてエネルギー入りの容器と見てしまう、人間さえその対象である、そんな時代だという警鐘がありました。
対抗するための「放下」について、著者の方がわかりやすくまとめて下さっています。曰く、
肯定すると同時に否定し、二者択一に巻き込まれず、けっして最終決定を下さないこと。同時に複数の思考へと開かれていること。
これを念頭に置くか置かないかで、解らなさ含め読んで考えることの姿勢は変わってくるだろうと思いました。

 

にしても私は解らなすぎですけど。
精進。精進。

 

 

原子力の哲学 (集英社新書)

原子力の哲学 (集英社新書)

  • 作者:戸谷 洋志
  • 発売日: 2020/12/17
  • メディア: 新書